2008年2月28日木曜日

鏡が、歪んだように見えた。

鏡が、歪んだように見えた。
鏡を凝視する。
いつもと変わらない鏡がそこにあるだけだった。
自分がふらついただけなのか?
鏡が、歪むはずはない。
苦笑いをする。
ここのところ、深酒をしすぎたせいだろう。
さゆりは、四十にもなって不甲斐ない男だと言って、出て行った。
追うことはしなかった。

さゆりの言うとおりだった。
働くこともせず、毎日、絵を描いてばかりいたのだから。
俺が、女でも、出て行くだろう。
さゆりがいなくなってからは、絵も描かなくなった。
酒ばかり飲んでいた。
さゆりは、文句ばかり言って出て行ったが、俺の財布に十万も入れてくれていた。
最後まで、やさしい女だった。
出来損ないの人間そのものの俺にいつもやさしかった。

俺は、久しぶりに歯を磨き始めた。
黄ばんだ歯を磨いても、しょうもないことなのだが。
鏡の中のぼさぼさの髪をした自分をみて、情けなくなる。
また、鏡が歪んだ。
確実に鏡が歪んだ。
鏡を覗き込む。
いつもの汚れた鏡があるだけだ。
おかしい。
俺がふらついたのでない。
頭まで、いかれたか?
鏡がぐにゃりと曲がる。
歪んだ鏡に緑色した人間たちが写っている。
踊っている。
ゆっくりとした流れるような踊り。
中央にいる男が静かに手招きをしている。
体が鏡の中に吸い込まれていく。
意識が遠のいていく。
気づくと野原にいた。
爽やかな風が吹き抜けているやわらかな場所だ。
辺りを何もない。
どこまでも続く草原。
遠くに山並みが小さく見える。
おだやかな心に俺は、浸っていた。
気持ちいい。
こんな気分になったのは、どれくらいぶりだろうか?
背中に気配を感じた。
そこには、馬がいた。
「乗りなさい」
馬が俺に話しかける。
何もかもを知っているものの声。
俺は、その声に従う。
馬は、走り出す。
どんどん加速していく。
地面が離れたと感じたときには、馬は飛んでいた。
何もない空間を駆けていた。
馬の太い首にしがみつく。
暖かい。
生命を感じるその首。
大きな存在を感じる。
自分の知ることも想像もできない世界に生きている馬の知性を感じた。
どんどん高く上っていく。
地表が、遠のいていく。
頭上の雲が、迫ってくる。
雲の中に入っていった。
真っ白な世界が続いている。
永遠につづくように思われた。
突然に、視界が開けた。
そこは、大きな湖の真上だった。
湖の真ん中に飛び込んでいく。
息苦しいこともなく、湖の底へと進んでいく。
大きな城が見えてきた。
城の入り口に馬は、到着した。
「ここからは、一人で進んで行きなさい。奥で、ある方が待っている」
そういい残すと、馬は、飛び立つように湖面へと浮かびあがっていった。
水の中なのだが、少しも、苦しくなく、地上と同じような呼吸ができている。
体の周りにあるものは、水であることにはまちがいない。
ふしぎの世界にいるようだ。
俺は、馬に言われたように、大きな門を入っていく。
長い石の通路が遠くまで続いている。
まわりを見ながら、奥を目指して、歩いていく。
行けども行けども、通路の終わりが見えてこない。
歩調を緩めた。
「いらしゃいませ」
いきなり、真横に、花の形をした人間らしきものがいた。
見た目は、花。
喋る花なのだ。
とんでもないことが、目の前で起きているのだが、どうしたことかそんなに不思議がることをしない俺がいた。
当然のことのように、俺は、対応した。
「待っている方とは、あなたですか?」
花は、頭を横にふった。
「いいえ、この奥でお待ちのかたです。このまま、お進みください」
俺が、端がみえない通路をみて、
「どこまで行けばいいんですか?」
と、訊ねて、花に振り向いた。
花は、いなかった。
いま、いたものがもういない。
俺一人が通路に立っていた。
仕方なく、進み始める。
長い通路に変化はない。
どんどん進んでいく。
どのくらい進んだのだろう。
後ろを振り向いた。
そこには、椅子がひとつあった。
今、自分が通ってきた通路に椅子が置かれていた。
椅子があれば気づくはずだが?
おかしな気分になってはいたが、椅子があるからには休みなさいということだろうと思い、腰掛けた。
椅子が、ゆれた。
振り落とされた。
「無礼なことをするな」
椅子が喋った。
椅子の形をした人間というか、生き物。
よく見ると、目もあり、口もあった。
その目は、知性があふれたいい目をしていた。
俺は、あやまった。
いすは、すぐに機嫌をなおした。
「あなたをお招きしたのは、私です。あなたにお願いがあるのです」
いすは、お辞儀した。
わたしも思わず、お辞儀をする。
いすが言うには、人間世界をつくったのは、彼らなのだがその人間世界では、もめごとや殺人などよくないことがあまりにもおおすぎている。
それは、悲しいことなので、完全になくすことは、人間の発展のためには、よくない。しかし、多すぎる。
要は、ある程度、限度をこえないようにわたしに監視、調整をしてほしい。
と、いうのである。
何故、自分たちでしないのかというと、それは、世界が、違うので手を出すことは、禁じられている。
たとえ、彼らが作り出した世界でも。
わたしに、ある程度の力、ものごとを動かす力をさずけるというのであった。
人間界でいう超能力のようである。
わたしのような凡人で苦しんでいるものは、この力を断ることはない。
喜んで受けると申し出た。
しかし、この世界でもやはり、いいめんがあれば、わるいめんも必ずあるようで、必要でないことに使うと命を一日づつ削られるのだ。
これを聞いて、私は、たじろいだ。
たじろいだのだが、その力の魅力には、たいしたことには感じられなかった。
わたしは、その力を使う時のことを考えてワクワクしていた。
なんでも出来るように考えていた。
わたしは、喜んでいた。

ふと、辺りの景色が変わっていることに気づいた。
私は、草原にいた。
さっきまでいた長い通路ではない。
いつの間にか、ここにいた。
ここにいたというか、周りが変化した。
それとも、幻想だったのか?
私は、幻想でないことを願いつつ、あのさづかった力を使ってみようと考えた。
いざ、力で何かをしようと考えてみると、なかなか何がいいのかきまらない。
周りには、草しかないので、草が大きくなれと念じた。
まわりの草を見てみた。
大きくなっていない。
大きくなった草はないか、探した。
風で揺れている草があるばかりであった。
やはり、幻想だったのか?
信じたくなかった。
超能力というものを持ってみたかった。
何か、体から力がぬけたようになり、草の中をとぼとぼととりあえず、歩いた。
目が覚めた。
私は、ベッドにいた。
夢だった。
夢の中で、幻想を見ていた。
リアルすぎる夢のような気がした。
私は、ベッドから窓の外をみた。
夕方だ。
昨日は、いつもどおりに夜十一時には寝た。
今は、夕方。
ということは、私は、十五・六時間寝続けていたことになる。
おかしい。
今まで、こんなに寝たことはない。
べっどの周りを見る。
いつもと何も変わりはない。
しかし、何かが変なような気がしていた。
私は、洗面台に行き、鏡を見た。
いつもの鏡がいつものようにそこにあるだけだ。
あの時、鏡の中へと吸い込まれていった。
鏡に触れてみる。
何もおかしいところはない。
あの時、鏡がゆがんで私は、鏡に緑の人が写っていた。
やはり、夢の中のことなのか。
妙な気がしていた。
夢にしては、理屈にあっていたような気もするし、そうでもなく、おかしなものがしゃべっていたような気もする。
私は、気にはなったが、夢であるということにして、忘れようと考えた。
非現実すぎる。

私は、日課にしているランニングに出かけた。
自転車で十分ほど走り、そこから、ランニングをする。
長いこと、ランニングをしていると、自宅の周りは走りあきたのだ。
初めての地域を走ると路地や家々が面白くおもえて、ランニングをいつも、初々しい気持ちで続けることができる。
はじめての路地とかを走ると、よく方向感覚がおかしくなり、道に迷ってしまう。
それがおもしろい発見をわたしに見せてくれる。
こんな家があるのかと思うほどの変わった家。
変わった場所に家が建てられていたり、道がなくなり、急な階段がでてきたりとおもしろい。
この日のランニングも初めての地域だった。
都会なのだが、暗い路地を見つけて、ゆっくりと走ってはいっていった。
家々は、小さく低く、どこか北国の村の中にいるような感じのところだった。
生活の苦しさがその家々からは、にじみ出していた。
トタン屋根の錆付きといい、壁といい、何もかもが古びている家々が何件も続いていた。
私は、ふと、何かがおかしいと思った。
ここは、東京なのに、こんなところがあっていいのか?
ここは、どうみても、 東京ではない。
東京にたまたま、こういうところが残ったという考えがあるかもしれないが、それは、数件の家が貧しい家があるというのは、ありえるかもしれないが、ここは、違う。
ここら一帯が丸ごとむかしの日本そのものなのだ。
これは、夢なのか?
リアル過ぎる。
私は、走るのをやめて、歩いてみた。
一軒一軒をじっくりと見ていく。
外に置いてあるものとかも、何か時代を感じるものだ。
割と新しいのだが、昭和の初期に使われていたものとかが、外においてある。
自転車とかがそうだ。
何かいまの時代のものとは違う。
ここは、一体、なんなのだ。
私は、間違って来てはいけないところにいるような気がしてきていた。
戻ろう。
来た道を戻り始めた。
戻っているはずだが、さっきと違う。
道が違う。
数分前に歩いていた道がない。
見える遠くまでの建物が全て今の時代の建物がひとつもみえない。
立ち尽くしてしまう。
何が起きているのだ。
私の耳に街の音が入ってきた。
昔の人びとの生活の音がしている。
夢か?
タイムスリップか?
私は、混乱している。
夢では、ない。
気がする。
「これが、今のあなたの力なのです」
後ろからの声に、振り向くと、草原で会った椅子がいた。
夢ではない。
現実。
信じられない。
私が知っている現実とは、違う現実が存在している。
私は、力を使った覚えはない。
「あなたが心で思ったからこの街が誕生したのです」
椅子は、普通のことのようにさらりと言う。
わたしは、ランニング中に昔の家々があるようなところを走ると気持ちいいだろうなと、少し、思ったことをおもいだした。
あれだけの、思いが現実を創り出すとは、怖かった。
これからは、何も考えることができないとおもった。
とんでもないことを頭の中をよぎれば、それが、現実になりうるのだ。
私は、椅子に言った。
「こんな力は、いらない。私を元にもどしてくれ」
と。
「もどせません。あなたがいた元の世界は、あなたが作っていたのですから」
私は、椅子の言っていることが理解できないでいた。
元の世界は、私が創っていた?
あの世界は、誰が創ったものでもなく、そこに、元からあったのでないのか。
いつもあるもの、それが、あの世界だった。
椅子の言っていることが本当ならば、私は、私のための世界を自分で作り上げ、そこで、苦しみ、嘆き、喜んでいた。
自分で創り続けていた世界を私は、恨んでいた時期もあった。
しかし、今は、あの世界が一番いい世界のように思う。
私は、これから自分で世界を創っているとわかりながら生きていかなければならないのか。
そんなつまらないことはない。
全てが自分の思い通りの世界のどこがおもしろいのか。
わたしは、死んだほうがいい。
しかし、私は、自分の世界で死ぬことが出来るのだろうか。
死んだら、私の世界はどうなるのか?
目の前のものが、ゆらゆらとゆれ始めた。
何がおきているのかわからない。
体がゆれている。
意識が遠のいてゆく。
椅子の声が聞こえてくる。
「あなたは、新しい世界にいくのですね」
私は、深い森の中にいた。
椅子の言葉が耳に残っている。
新しい世界にいくのか?といっていた。
では、ここは、私の知らない世界なのだろうか。
自分の常識範疇を超える世界なのだろう。
その世界、世界でものの成り立ちから、全て、ちがうのだろう。
わたしは、 混乱の中をさまよい続けるのは、耐えられない。
脳がショートしてしまう。
私は、自分の意思で自分が死ぬことを望んだ。
意識が遠のいていく。
今度は、自分が望んだ通りに死ねる。

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