2008年7月11日金曜日

72 卑怯者

 幼なじみのタケルと知恵は、大きな廃墟の前にいた。
大通りに面したその廃墟は、数年前まで、金持ちの年寄りが住んでいたところだが、いまは、だれも住む人もなく、荒れ果てていた。
赤い文字で大きく立ち入り禁止と書かれた木の板が門扉に吊り下げられていた。
「タケルやめようよ。なんかよくないよ」 知恵は、怖がっていた。
「だいじょうぶだよ。高校入試も終わったし、気晴らしにちょっと、見るだけだよ。中がどうなっているか見てみたいといったのは、知恵だろう」
「そうだけど・・・・・」
タケルは、門扉の横の小さな出入り口の取っ手を回して押した。
意外と簡単に開いた。
「いくぞ」
タケルも幽霊屋敷と言われているこの建物に入っていくのは、こわかった。でも、見てみたいという好奇心の方が勝っていた。
幼なじみの知恵の前で怖がっているのを見られるのが嫌なのでなんともない顔をして、入っていった。
知恵は腰が引けたようなへっぴり腰でついてきた。
夏の太陽は、傾きかけていたが、大きな庭には光が満ちていた。
どこにでもある庭が荒れ果てて、草が伸び放題になっているだけだった。
タケルはほっとした。もっと、おどろおどろしい感じを抱いていたのだ。
「ほら、なんともないだろ、知恵」
知恵は、あたりを見回しながら、うなずいている。
庭には、大きな木や石碑のもののようなものなど、元は花がたくさん植えてあったろうとおもわれるところなどがあった。
それらすべてが、草とつると覆われようとしていた。
荒れ果ててはいるが、お金持ちの家だったのは、よくわかる。
二人は、ゆっくりと正面にある大きな扉に向かっていった。
扉の前にたどり着くと、その扉は意外と大く威厳のあるものだった。
タケルが知恵を見て言った。
「入るぞ」
知恵の返事を待たずにタケルはノブを回して、引いた。
この扉も鍵はかかっていなかった。
以前にもだれかが進入したのかもしれないとタケルは思っていた。
その重い扉は長年風雨でさび付いて、引くのに結構力を入れた。
ちょうつがいの軋む音がおどろおどろしい感じを出していた。
扉からの光りが一気に中を照らし出した。
中は広く、金持ちらしいシャンデリアやさまざまな調度品があった。
物音ひとつしないそこには、外とは違う冷たく重い空気が満ちていた。
知恵は、タケルの袖をひっぱり、
「止めようよ。ここ変だよ」
と、泣き出しそうな顔になっていた。
「臆病だなあ、なんでもないよ。ただの大きな空き家だよ」
 タケルは、平気な風を装っていたが、心臓は激しく動いていた。
何かが普通の家とは違うことは、タケルも感じていた。でも、もう少しだけ、観たかった。
外の道路を車が走り去っていくのが耳に入ってきた。
「誰かに見つかるとまずいから、その扉閉めて」
「えっ、ここ閉めるの?」
「そうだよ。早く」
「でも、暗くなっちゃうよ」
泣きそうな知恵の顔が腹立たしくなり、
「いいんだよ、それでも、窓の明かりで結構見えるからだいじょうぶだよ」
と、叱るようにに言った。
知恵は黙って、その重い扉に体重をのせて押した。 再び、軋みながら扉はしまった。
扉の閉まる音が部屋中に広がり、辺りは、一気に薄暗くなった。
予想以上に暗くなった部屋にタケルは、扉を閉めなければよかったと思い直していた。 しかし、そんなことを知恵に悟られないように、大きな声を出した。
「よし、進むぞ」
二階へと上がる大きな階段が目立っていた。いかにも高そうなペルシャ絨毯が敷かれている。
その階段に近づいていこうとしたとき、何気なく、後ろを振り向いた。
(知恵?)
そこにいるはずの知恵がいなかった。
タケルだけがそこにはいた。
「知恵?どこ・・・・・?」
心臓が早鐘のように鳴り響き、体中から汗が出てきた。
タケルは恐ろしかった。
何が起こったのかわからなかった。
扉を開けて、知恵が出て行ったとは考えられなかった。
扉の軋む音は、知恵が閉めたときだけだった。
それをタケルは、見ていた。
知恵は、外には出ていない。
「知恵?どこにいるんだ?」
帰ってくる返事はなかった。
タケルの声がなくなると、辺りの静けさがいっそう怖かった。
(まずい)
タケルは、この状況がとんでもなく悪い事が起きているとわかった。
しかし、自分にはどうにもできない大きな力の起こしたことだとも悟った。
(ここにいるとあぶない)
入り口の扉に飛びつくと、思い切り押して、外に走り出た。
外の門扉の横のちいさな入り口も走り出た。
外にはいつものまばゆい光りと音が満ちていた。
外の空気を吸って、改めて廃墟の中の空気が普通でなかったことがわかった。
タケルの額には大粒の汗が噴出していた。体中が熱かった。
(どうしよう。知恵がまだ中にいる)
だが、タケルは足がすくんでしまい再び廃墟の中に入る勇気をだせなかった。
(どうしよう。知恵が中にいる。捕まっている)
門扉の前を行ったり来たりしながら、タケルの頭の中には、怖がりの知恵が泣き叫んでいる姿が見えていた。
(助けにいかなければ、知恵が泣いている)
でも、入れなかった。
怖くて、入れなかった。
大通りを行き交う車に乗っている女の人とタケルの目があった。
静かなその目はタケルを見続けていた。
一瞬のことだった。
その目は、一瞬で全てを語っていた。
臆病者、卑怯者、幼なじみの女の子を見捨てるなんて、男として情けないといっていた。
その後も通る人々の目もタケルを非難しているように見えた。
タケルは、その場にいることが耐えられず、走り出した。
必死に走った。
廃墟から少しでも離れたかった。
今、起こったことを忘れたかった。
なかったことにしたかった。
タケルはそのまま家に帰ると自分の部屋に閉じこもった。
恐ろしかった。
自分が知恵を置き去りにしたことが、恥ずかしかった。
知恵に申し訳なかった。
でも、怖くて助けにいく勇気はなかった。 
知恵は、あの後、家族から捜索願いが出され、警察が捜していたが、結局、見つからなかった。
タケルのところにも、警察が来たが何もいわなかった。

それから、何年かが過ぎた。
タケルは、廃墟でのことはだれにも話すことはなく、普通に暮らしていた。
 廃墟で泣き叫んでいる知恵の夢で、何度もうなされてはいたが。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

気持ちが分かります。