2008年7月25日金曜日

73 眠らない男

その男は、今日も眠らなかった。
眠れない日が何日も続いているうちに、眠らないでも問題なく日常が送れるようになっていた。
もう一年も眠っていない。
はじめのうちは、眠らないでいると頭痛がしたり、周りのものが奇妙なものに見えたり、体がふわふわ浮かんでいるような感覚をおぼえたりしていたが、一ヶ月を過ぎたころ、突然、それがなくなった。
体の調子が良くなった。
むしろ、眠らなくなる前より、感覚が鋭くなったようである。
その他にも、運動神経も鋭敏になっている。
体の機能が向上しているのだから、いいことのようである。
しかし、男は、そのことを誰にも話すことはしなかった。
話さないほうがいいような気がしていた。
人間というものは、自分が持っていないもの、完全にかなわないものなどを相手が持ちはじめると、はじめは、いっしょに喜んでいるが突然、非難をし、攻撃をしてくることが多い。
人間は、突然変わってしまうものであるということは、それと似たようなことを味わったことがあった男には、わかっていた。
だれにも話すことなく一年が過ぎた。
感覚がさらに鋭敏になり、ものごとに対する見方、考え方も変わってきていた。
きれいに見えていた花がそれほどきれいなものではないことに気づいた。
もっと美しいものがまわりにあることに気づくようになってきた。
なんでもないものと思われていたものに美を見つけるようになっていた。
ひとつは、道路である。
日常歩いている道、足で踏みつけているアスファルトの道にも、表情のようなものがあるのである。
平らであることを当然としてみているアスファルトの表面のへこみや歪み、曲がり角などでのタイヤの後の微妙なつきかた。
太陽の照り返しや木々の影の落とし方、風に飛ばされるちり、車の通り過ぎるときのタイヤが踏みつけていく瞬間など、その瞬間、目に入る光の微妙な具合でアスファルトの表情が、いいのである。
目に見えるものと、見えないもの、その周りの空間に存在するあらゆるものがお互いに影響をおよぼしている状況を一度に同時に感じ取れるようになっていた。
それからは、周りの空間が気になりだした。
さまざまなところで、美くしいものにだけ気がとらわれるようになった。
日々の生活のためにする仕事にも気が入らなくなり、おろそかになるようになった。
そうしているうちに、会社も首になり、行くところもなくなり、やがて住むところもなくなってしまい、公園で浮浪者として暮らすようになった。
それでも、男は、美しいものにのみ興味を抱き続けていた。
美しいものを見ることこそが、人間の真の生きる目的だと考えていた。
男の感覚はさらに研ぎ澄まされてゆき、さらに、美しいものを見つけて続けていくようになった。
そして、それを公園を訪れる人々にいかに美しいかを話してまわった。
当然のことではあるが、普通の人間でしかない人々には、汚れきったぼろきれのようなものをまとった男が近づいてくることにさえ拒否反応を起こしていたが、まして、男の話す世界は、男にしか見えない世界であり、理解することができないものであった。
それゆえに、男の行動は、狂っているようにしか見えず、逃げ回っていた。 
男は、みなに理解してもらえずにいたが、それでも、自分の見えている世界を語り続けていた。
そんなことを続けているうちに浮浪者仲間からもうとまれるようになり、限られた食料も浮浪者仲間から嫌がらせによって、取ることができなくなり、日々、体力が落ちていった。
そのうち男は、一切の食べ物を口にすることもなくなり、ただ、公園の地べたに横たわっているだけになった。
 だれも男に関心を示してくれるものもなく、幾日もその状態が続いていた。
男は、いつしか、息を引き取っていた。
何年間も目を閉じることのなかった男のその目は、やわらかく閉じられていた。