2008年5月9日金曜日

67 二つの太陽

太陽が二つある。
なのに、だれもそのことを口にしない。
見えてないのだろうか。
太陽が二つあることにきづいたのは、昨日のことである。
駅へと向かう出勤途中で、空を仰ぎ見たときに、気づいた。
おんなじ大きさの太陽が並んで、輝いていた。
駅に着いた。
二つの太陽。
大騒ぎをしていそうなものだが、何事もなく、いつものように、駅構内は平然としている。
何か変だ。
携帯でテレビを見てみた。
そこでは、いつも見慣れた人が、朝のニュースを読み上げていた。
いつものように、ただ、ニュースを放送していた。
太陽が二つ。
こんな大きなことが起きているのに、世間では、何も起きていない。
私にしか見えていないのか?
幻想では、なく、現にそこに太陽は、二つ存在していた。
プラットホームで隣りで新聞を呼んでいるサラリーマンらしき男に、尋ねてみた。
「今日の太陽、何か変ですよね。」
男は、太陽を見た。
まぶしいはずなのだが、二、三秒見つめていた。
「いや、いつもの太陽だよ。」
しようもないこと、聞くんじゃないよ、というような雰囲気を感じさせながら、その男は、再び、新聞に眼を戻した。
やはり、私しか、あの太陽は、見えていないようだ。
これは、どういうことだろうか。
私にしか、見ることができない太陽。
あるはずのない太陽が、もう一つ、隣で輝いている。
どう解釈したらよいのだろうか。
大勢の人が、太陽の変化に気づかないということは、太陽には、何も問題がないのだろうか。
私だけが、おかしいのだろうか。
私の頭が変になったのだろうか。
その確率のほうが、高いように思う。
しかし、この太陽は、どんなに見直しても、ふたつある。
私は、自分の頭がおかしくなっていないのを認識している。
では、私以外の人間すべての頭がおかしくなったのだろうか。
そんなことが、ありえるはずがない。
それでは、どういうことか。
私の頭でもなく、他の人々の頭でもなく、では、問題は、どこにあるのだろうか。
問題ではなく、何かが起ころうとしているのだろうか。
何かを私に気づかせようとしているのか。
でも、私だけに気づかせるために、太陽が余分に出現するとも考えられない。
では、何か。
やはり、私の頭がおかしくなっていると考えるのが、妥当な見方であろう。
ということは、では、なぜ、他の人たち、私の周りにいる人たちは、私の異常に気づかないのだろうか。
私は、異常な行動をしているはずである。
なにしろ、太陽が二つ見えているのだから。
それとも、太陽が二つ見える意外は、私の身体に問題はないのだろうか。
それで、他の人々は、私にいつものように接しているのだろうか。
それとも、これは、夢なのかもしれない。
しかし、実にリアルにできている夢である。
夢の中にいるので、変なところに気づきづらいだけなのかもしれない。
それとも、私は、死んでいるのか。
突然の死を迎えた人は、自分が死んでいることに気づかずにいつものように生活をしている人がいると聞いたことがあったが、そうなのか。
私が、そのパターンなのか。
ためしに、壁が通り抜けることが、できるか、試してみた。
だめだった。
痛い思いをしただけだった。
壁を通り抜けできないわけだから、私は、死んでいない。
私は、生きている。
結論がでないままに、今を迎えている。
いま、私は、自殺を考えている。
たいした理由などないのだが、自殺をしようとしている。
ありきたりな自殺をしようと高いビルの屋上にいる。
あと、数歩前に足を進めるだけで、希望の自殺ができるわけであるが、私は、すぐには、足を進めることをしない。
死ぬ前のこの短い時間が、なんだか心地よい気分になってきていた。
死ぬのだから、何も必要なくなってしまい、ほしいものもない。
未来への不安もない。
いま、この一瞬だけが、すべての世界にいま、私は、いる。
なかなかいいものだ。
いまのこの一瞬。
いまだけを生きるのは、いいのかも知れない。
人間が苦しむのは、未来を考えるからなのでは、なかろうか。
今だけ、この一瞬だけを生きるといいものに、なるのかもしれない。
しかし、ほんとの一瞬だけを生きなければ、時間がたてば、未来を考えてしまう。
この一瞬だけ。
この一瞬を生きるためには、この一瞬の後は、必ずの死がなければならない。
一瞬を知ったので、私は、死ぬことにした。
足を一歩進めた。
恐怖は、あったが意外と簡単だった。
私の身体が、落ちていく。
意識が遠のいていく。
そして、意識がなくなった。
そして、目覚めた。
やはり、私は、夢を見ていた。
私は、いつものベットで、目覚めた。
カーテン越しの太陽の強い光りが、部屋の中を明るく照らし出している。
一気にカーテンを引き開いた。
空には、まぶしい太陽が二つあった。
まだ、夢のなかなのか?