2008年4月18日金曜日

62 白カラスの義   

 

その小さな公園は、早朝の霧雨の中にまぎれるようにあった。
麗(レイ)は、日課の散歩コースの中に、この公園を入れていた。
勝手にカラス公園と名づけている。
初めてこの公園に訪れたときに、一匹のカラスがサッカーボールの上に乗って遊んでいたのを見たからであった。
正式な名前は、あるのだろうが、麗はこの名前が気にいっていた。
カラスが、水のみ場でレバー蛇口式のレバーを動かして、水を飲んでいるのを見たこともあった。
その動きはとてもコミカルで、心がもぞもぞするような楽しいものだった。
サッカーボールで遊んでいたカラスと同じカラスだと麗は、思っていた。
ここのカラスは、何も悪さをすることもなく、賢くてかわいいカラスだと思っていた。
何十羽と集まることもなく、いつも1、2羽ぐらいで公園内をチョコチョコと歩き回っているのをよく見ていた。
いつもなら、雨の日の散歩はやめるのだが、その日は、しとしとと降り続く五月雨の中、なぜか、早起きして散歩に出た。
そして、カラス公園にさしかかった時、公園のあまり手入れのされてない茂みのような植え込みの中で、ガサゴソと音を立てているものがいることにに気づいた。
普段、聞きなれている音とは、異なる音に引き付けられるように、その音のほうへと近づいていくと、そこには、一羽のカラスが茂みから出られずに、羽をばたつかせてもがいていた。
引っかかってしまうほどのところには、見えなかったが、さらに、近づいてみてみると、どういうわけか茂みの中に、つり用のテグスが捨てられていたようで、そのテグスに足が絡まってしまったようであった。
麗が、助けようと静かに近づいてゆくと、カラスは、逃げようと余計に羽をばたつかせてしまい、羽が茂みの枝に激しくぶつかり、痛々しかった。
傷が深くならないように急がねばと、麗は、一気にカラスに近づき、上から押さえつけるようにして、捕らえた。
カラスは、悲しいようなくぐもった声を出しながらも、逃げようと身体を捩じらせていた。
麗は、そんなカラスをみて、余計にかわいそうになり、一刻もはやく、開放してやろうと、カラスの足に絡みついたテグスにあせりながら格闘した。
程なくして、テグスがカラスから完全に取り除かれた。
取り除いたテグスは、ずいぶんまとまったものだった。
もしかしたら、悪意のある人の仕業かもしれないと頭の端のほうに浮かんできた。
すべてのテグスが外れたのが分かったのか、少しでも早く人間の手から離れようと一段と激しく暴れだしたカラスに
「これは、貸しな、いつか返してもらうぞ」
アメリカ映画でよくきくような台詞を、伊達もの風に言ってみた。
麗は、カラスにしたこととはいえ、良いことをしたことに対して、照れのようなものがあった。
カラスを押さえつけていた手の力を緩めると、するりと手から抜け出し、駆け出すようにして、力強く羽ばたき、高く遠くへと飛んでいった。
すぐにその姿は見えなくなり、何かを期待するわけではないが、あっけないものだった。
見えなくなったほうをしばらく見ていると、ふと何かを感じて、辺りを見渡すと、まわりの木々に、いつの間にか、いつもはいない5,6羽のカラスが低い枝につかまり、麗を静かに見ていた。
仲間が心配だったのだろうと、麗は、心配ないという意味をこめて、合図をするように片手を挙げたのだが、真意は伝わらなかったようで、同時に、カラス全部が、声を上げながら飛び立ってしまった。
脅かしてしまったと、麗は苦笑いをしながら、散歩を続けた。
麗が公園をでていくと、だれもいなくなった早朝の公園は、動くものが何ひとつないひっそりとした寂しいものになった。
しとしとと降り続ける雨がいっそうそうしていた。



カラスを助けてから幾日かが過ぎたある日。
いつものようにいつもどおりの散歩コースを日々変わる景色を感じながら、額に汗をにじませながら歩いていた。
いつもの公園に入っていくと、麗が散歩の途中で休憩する場所と決めている長ベンチに、全身を白一色のスーツに身を包んだ若い男が、背筋をスッと伸ばして腰掛けていた。
早朝の公園には、似つかわしくなく、近寄りがたい違和感を感じさせていた。
麗はその男の姿をみて、このベンチでの休憩はあきらめ、その男がいるベンチの後ろを行きすぎようとしたとき、その男が、麗の前に立ちはだかるように飛び出してきた。
「キャッ」
いきなりの予想外の男の動きに麗は、小さな声をもらし、腰からくずれるように地面にしりもちをついた。
目を固くつぶり、身体をちぢ込ませた。
男に何かをされると思った。
が、何もおきないのでゆっくり目を開けていくと、まず、目に入ってきたのが、磨かれた白い皮の靴で、次に、折り目がきちんと出ている白いスーツのパンツ、そして、白いスーツの上着、そして、麗を見るのでは、なく、なぜか正面を見たままでいる若い男の顔だった。
まじめそうな男の顔つきに麗は、自分に危害を加えようとしている人間でないと判断し、
「なんですか。危ないじゃないですか。」
立ち上がりながら、男を責めるような口調になった。
「すみません。脅かすつもりは、なかったんですが」
男の声は、こころなしか震えているように麗には、聞こえていた。
男が、すごく緊張しているのが、麗にも伝わってきた。
自分に対して緊張している男の態度は、麗にとっては、自分が大切に扱われているような、何か優位に立っているような気分にさせてくれた。
男の顔をゆっくりと観察する余裕も出てきていた。
落ち着いて見てみると若い女の子たちが喜びそうないい顔していた。
イケメンである。
だが、イケメンは、麗の好みではなかった。
イケメンは、うすっぺらい軽薄な人間としか見えなかった。
好みは、ごつくて、人生の険しい道のりを歩いてきた、くたびれたスーツを着ているようなおじさんが、タイプだった。
「私は、カラスです。あなたに助けられたカラスです。貸しを返しにきました。」
いきなりである。
変な抑揚で話す男は、麗の返す言葉を待っていた。
早朝の公園に場違いな白いスーツ姿で現われ、おかしなことを言っている男。
係わり合いにならないほうがよいと判断した麗は、すぐ、立ち去ろうとした。
そんな麗の表情に自分が信じてもらえてないことを知った男は、
「うそでは、ありません。真実です。信じてください。」
しっかりとしたものごとを判断する能力のある声に変わった。
すくなくとも、異常者では、ない声の音質だった。
話しを聞いてみてもいいかもしれないと思った。
しかし、男は、ニコリともせず、引きつるような表情でそこにいた。
声は、信用できそうなのだが、表情が信用できない。
「わたし、25よ。そんな話し、信じると思うの?」
やさしく対応するときではない感じた麗は、多少きつい言い方をとった。
男は、そんな麗の態度にたじろぎ、
「ほんとうなんです。私は、あのときのカラスです。貸しは、返さないといけないことです。カラスでも人間でも、同じです。だから、こうして、来たんです。あなたの困りごとを教えてください。それを解決します。」
早口で、いっきにしゃべった。
麗に信じてもらおうとしていることは、なんとなく、感じることはできた。
しかし、内容がまともでない。
「じゃぁ、あのときのカラスだという証拠を見せて」
とまどうような困ったような表情をしながら、
「それは、いま、ここでは、お見せできません。」
男の言葉が終わると同時に麗は、何も言わず、歩き去り始めた。
男が、慌てて、麗の前に走り出て、
「分かりました。じゃぁ、しょうがないんで」
と、言いつつ周りを見、だれもいないのを確認すると、白いスーツを身につけたイケメンは、一瞬にして、黒いカラスになった。
ベンチの端にのっかり、麗のほうに向き、
「カァー」
と、一声、鳴いた。
すぐに、もとの男の姿に戻った。
ほんの一瞬のの出来事であった。
男は、辺りを見ている。
少し離れたところで、一人の小さな女の子が、こちらを見ていた。
驚いた表情で立ちすくんでいる。
いま、起きたことを見てしまったことは、確かだ。
男は、がっかりしたような表情で、ベンチに腰を落とすように腰掛けた。
麗も、目を大きくして男をみている。
「人間は、あまり知らないけれど、こんなこといっぱいあるんですよ。」
男は、麗に背中を向けたままで
「信じてくれました?」
「信じた、うん」
思考も止まりそうになっている麗は、身体に力が入らず、腰がふわふわしてしまっていた。
男のとなりによろめくようにゆっくりと腰掛けた。
「ほんとに、あるんだね。」
「そうです。あるんです。」
男は、麗の状態に気づき、麗の背中をさすりながら、
「やっぱり、カラスだということを言わなければ、よかった。」
男は、後悔しているようだった。
「あの女の子も見たよなぁ。脅かしちゃったなぁ。」
肩を落としている男の姿をみて、麗は、なんだか親しみを感じ始めていた。
麗は、男が現れた理由を思い出した。
「あのとき、私が、貸しって、言ったから、ここにきたんでしょ! でも、あれ、冗談だから、いいのよ。」
「でも、こうして私が、ここにきた以上、貸しを返さない限りは、私も、帰るわけには、いきません。人間に、貸しをしたままだと、カラス仲間にも、顔が立ちません。どうか、何か、私にさせてください。なんでもいいんです。」
「そんなこと言われても、困っていることないんだよねぇ」
麗は、男の思いをかなえてやりたいと、うなりながら、しばらく考えていたが、やはり、出てこなかった。
「やっぱり、ないね。だから、いいよ、忘れて」
「そうはいきません。思いついたら教えてください。私は、このままで、いるわけにもいかないので、カラスに戻りますが、私は、いつでも、傍で、まっていますから。」
そういうと、あっという間にカラスの姿に変わり、ベンチの後ろに立っている大きなイチョウの木の枝にとまって、麗を静かに見下ろしていた。
その目は、早く、早くと催促しているようにみえた。
しばらくは、その場で考えていたが、カラスの目が気になりだし、いたたまれなくなり、
「明日、来るから、それまで、考えておくから」
麗は、そういうと公園を逃げるように出てきた。
貸しの戻しの押し売りにも困ったものだと麗は、考えていたが、あのカラスの気持ちも分かる気がしていた。



次の日、麗は、カラスにしてもらうことがみつからないので、公園に行きづらくなった。
約束を破ることになるのは嫌だったが、あのカラスががっかりするのを見るのつらいので、公園にいくのは、やめた。
麗は、自分がとても悪いことをしているように感じ、ベッドにはいり、困りごとを明日までには見つけて、あのカラスを喜ばそうと思っていた。
目を閉じて、気を落ち着け、考えてた。
しかし、考えても、考えても、ため息がでるばかりだった。
次第に、麗の意気込みはあせりのようなものになってしまい、悪循環となり、よけいに考えることができなくなってきていた。
そうこうしているうちに、とうとう、一日が過ぎ、朝になってしまった。
二日もカラスを待たすわけにもいかず、困りごとがみつからぬまま、公園に向かった。
青年は、やはり白いスーツ姿で、背筋を伸ばして長ベンチに腰掛けて待っていた。
麗が、現れると跳びはねらんばかりに喜んだ。
約束を破ったことには、少しも触れずに、来てくれたことを喜んでいた。
今日も来ないかもしれないと思っていたらしい。
麗は、青年に、してほしいことは見つからなかったことを告げた。
とても、申し訳なさそうにしている麗を見た青年は、
「あなたの疲れた顔から、察すると、カラスとしての私の変なまじめさが、あなたを苦しめたようですね。申し訳ありません。」
青年は、深々と頭を下げ、ベンチに元気なく、腰掛け、
「これだから、我々、白カラスは、人間と仲良くなれないんだよなぁ。あまりにもまじめに固く、行動を考えるから、人間に嫌われるんだよなぁ。」
それを聞いていた麗は、疑問を持った。
カラスは、黒いものなのに、白カラスとは、何なのだろう。
この疑問は、困ったことの一つになるのでは、ないのか。
うれしくなって、カラスの青年の前に飛び出した。
「私、困ったことが出来た。どう、それを解決してくれる?
 これで、貸しがなくなるわよ。」
それを聞いた青年の顔色が一気に良くなった。
「はい、困りごとは、何ですか?」
「困りごとは、私たち人間の知らないことを教えてほしいということ。
それは、あなたが、さっき、しゃべった言葉で、白カラスと言ったけど、カラスは、黒しかいないはずだけど、どういうことなの?
これが、私の困りごと、知りたいけど、私たち人間は、知ることができないので、困りごとでしょ。」
麗は、一気にうれしそうに言った。
「一応、それも、困りごとですね、分かりました。
お答えします。」
麗に近づき、手を握り、
「あの、これから言うことは、だれにも話さないでください。一応、カラスのルールみたいなもので、人間には、カラスは、黒だけしか存在してないように見せておく必要があるものですから。」
麗は、うなずく。
カラスの青年がいうことには、カラスには、黒カラスと白カラスが存在していて、白カラスは、支配層みたいなもので、黒カラスが、労働者階級みたいなものということであり、さまざまなものに身体を変化させることができる力のあるのは、白カラスだけということである。
白カラスの状態でいると、美しいもの好きの人間に捉えられてしまうので、人間のイメージがよくない黒カラスにいつもは、化けているとのことである。
白カラスは、平常の日は、目立たないように黒い身体にしているが、カラスの中で何か問題が起きたとき、白カラスとなり、カラスたちをまとめているということである。
青年は、カラスの秘密などもたくさん話してくれた。
麗が、喜んでいると青年もまた喜んでいた。
そして、貸しが返せたと喜びながら、去っていった。
麗は、カラスの世界が、人間と同じ様なところもあり、ぜんぜん理解できないところがあることなど、いろいろなおもしろいこと知ることが出来たことをとても喜んでいた。
しかし、その記憶は、数時間後には、全て消えてなくなった。
白カラスの監視組織であるものたちが、カラスの世界の情報が人間にながれ過ぎることは良くないと判断し、麗の記憶を消したのである。
その後も麗は、いつものように、公園の散歩にきて、いつものベンチに腰掛け、いつものように休憩を取っていた。
そして、その麗の後ろのイチョウの木の枝には、いつも、一羽のカラスがいた。

2008年4月16日水曜日

61 男の秘密の仕事

女は仕事が終わり、家路に向かう路地をとぼとぼと歩いていた。
生活に疲れていた女は、ほとんど顔をあげることをせず、うつむいたままに足を無理やりに前に動かしていた。
何をしてもいいことがない毎日にほとほと、嫌になっていた。
毎日を忌み嫌って生きていた、そんな女の目の前に、財布が落ちていた。
厚みのある黒い皮の財布。
女の心は、弾んだ。
すぐには、手を出さずに、周りの人の目を気にしながら、だれも見ていないことを確認したところで、かがんで財布に手を伸ばした。
財布に手が、触れた瞬間に、その女は、猫になってしまった。
猫は、以前のことの記憶は、なにもない。
前から、記憶は、猫だった。
その後、その女は、行方不明者として、警察のリストにのることになった。
だれも、女が猫になっていると考えているものは、いない。
その財布は、あちこちに現れ、人々を別のものへと変えている。
犬になったものもいるし、路傍の小石になったものもいる。
触れるものを他のものへと変えてしまうその財布の持ち主は、初老の男である。
その男の正体を知っているのは、その男の家族だけである。
その男の家族は、代々、人を他のものへと変えることを仕事としている。
受け継ぐのは、長男ひとりと決められている。
その他の家族は、家を出るときに、記憶が消されている。
その男は、その仕事をやめることは、できない。
やめるときは、本人が、無限の地獄をさまよい続けることになるからである。
なぜ、こんな仕事があるのか、男本人も理解は、できてない。
それでも、男は、仕事をやりつづけている。