2008年2月6日水曜日

夢うつつ

その夜、窓を打つ雨の電車には、他の乗客はいなかった。
奥多摩へと向かう最終電車。
私が降りる駅までは、まだ、10駅もある。
二両ある車両ともに、だれもいない。
いつもは、5、6人は、いるのだが、その夜は、私だけだった。
電車の車輪が、レールのつなぎ目を通過するときの、ガタン、ゴトンというリズムよく響く心地よい音が、いつもより、大きく聞こえていた。
時計は、11時になるところだった。
仕事の疲れが身体に残っていたのか、まぶたがゆっくりと閉じられていき、静かな眠りが私のからだを包み込み始めていた。
私の右手に暖かいものが触れた。
それが何かと確かめたいのだが、眠気のほうが強く、私は、目を開けることをしなかった。
小さな女の子の声が耳に流れ込んできた。
「ねぇ、ねぇ、おじさん」
太ももの上に置かれた私の右手の甲を何度か押されている感覚を覚えて、目をゆっくりと開いた。
おかっぱ頭で白いワンピース姿の小さな女の子が、私の隣に座って、私の右手を両手で揺り動かしていた。
だれもいないと思っていた電車に見知らぬ小さな子供がいた。
ちいさくて、見えなかったのだろう。
「どうしたの? お嬢ちゃん」
私は、出来る限りやさしくたずねた。
どうやら、大きい電車に一人で座っているのが怖くて、私の傍に来たらしい。
それでも、私が寝ているとやっぱり一人ぼっちの気がして、怖いから、起きて何か話しをしてほしいとのことであった。
私は、小さな女の子にあうような、猫が旅をする物語りを創作して、話し始めた。
女の子は、私に身体をよせ、寄りかかりながら、話しを静かに聞いていた。
かわいいものである。
私は、出来る限りやさしい物語りになるように、考えをめぐらしながら、夜の窓にうつる車内の私たちの姿をながめながら、ゆっくりと話しつづけた。
いつしか、私は、女の子に話すよりも、自分が話しにのめりこんでゆき、自分のために話し始めていた。
ふと、静かにしている女の子をみると、いつしか、目を閉じて、眠っているようであった。
そのやさしい寝顔を見ていると、暖かい眠りへの欲求が、再び、私を満たしていき、私も眠りへと落ちていった。


ビクンと私の身体が、ひと振るえして、跳ね起きたところは、私がいつも降りる駅だった。
電車の扉は、開いていた。
閉まりそうな扉から、急いで降りた私の手には、小さな白い紙が握られていた。
その紙には、ひらがなで
「ありがとう」
と、書かれていた。