2008年4月9日水曜日

59 反応

遅くまでの残業を終え、電車に飛び乗ったのは最終の便だった。
座席につくと、すぐに寝入ってしまった。
アパートのある池袋駅のアナウンスで目覚め、カバンを両手に持ち、飛び降りた。
駅の西口をでたところで、カバンの手に伝わる感触がなにやら普段と違う気がして、カバンをみた。
自分のカバンでない。
色は、自分のと同じ黒色だが、形が全く違うものだった。
しかも、反対側の手には、いつもの自分のカバンをしっかりと持っている。
明らかに、私は、隣のひとのカバンを持ってきてしまったということをあらわしていた。
私は、すぐに、駅に引き返した。
駅の改札の駅員の傍までいってから、カバンを駅員に渡すのをやめた。
見も知らぬ他人のカバンの中身を見てみたいという衝動に駆られたのだ。
だれのカバンもたいして、変わりのないものであることは、承知であるが、見てはいけないものだからこそ、見てみたいという感覚に私にもある善の心は、片隅に押しやられていた。
急ぎ足で、駅を出ると、西口公園のベンチに腰掛けた。
まわりの人間が私を見ているような気がして、顔を上げて周りを見ることが出来ずに、うつむいていた。
しばらくすると、うつむいた姿勢のままでいることに身体がきつくなり、また、この姿勢のままでながくいることは、まわりの人々からすると、不審の体勢にみられるのではないかと、考えられてきた。
それで、なるべく、さりげなく見えるように、ゆっくりと、顔を上げ、まわりを見渡すと、夜、遅い時間だけれど大勢の人が、まだ、いたのだがだれ一人として、私を見ているものはいなかった。
私の考えすぎだった。
ここは、東京だ。
身近にいようと、となりの人に関心を示さないのが、東京である。
ましてや、故意にないにせよ、私が他人のカバンを持っていることを、この場にいる誰が、知っていようか。
私は、自分が疑心暗鬼になりすぎていたことを、自分で情けなくなった。
なんて、気が小さい人間だと。
それでも、私は、その見知らぬカバンを開けるときに、大事なものを探す風に装いながら、カバンを開いている自分がいることのに気づいていた。
どこまでも、臆病な人間である。
つくづく、思った。
開いてみたが、予想どおりである。
たいして、面白いものがあるわけでもなく、仕事のものであろう、幾枚かの書類と小さなメモのような走り書きなどが、しわくちゃに入っているだけだった。
ためしにと、メモの一つを開いてみると、そこに、書かれていることに、私は、胸を何かにつかまれてしまったかのような気持ちにさせられた。
そこには、“いま、このカバンをお持ちのあなた、私は、見ていますよ。ずっと。”
そう書かれていた。
ただ、それだけである。
どうせよ!でもなく、返せでもなく、見ているとだけある。
要求があるのではないことに、怖さがあった。
自分が今、だれかに、この場を見られているのかと思うと、急に身体が熱くなり、顔を上げることができなくなった。
自分を見ている人間と目が合ってしまいそうで怖かった。
私は、しばらく、そのまま、動かずにいた。
そして、この場を切り抜けるには、どうしたらよいのかを混乱している脳で考えていた。
答えが出た。
逃げることだった。
今なら、私がだれかもしらないはずである。
私は、いきなり、走り出した。
その見知らぬカバンは、その場にのこしたままである。
走りに走った。
夜の池袋を走り続けた。
人が少ないほうへと走り、誰もいない公園の中へと走りこんでいった。
後を追いかけてくるものはいない。
周りにも、だれもいない。
急に走るのをやめたら、身体中から、汗が噴出してきた。
公園の水道で、水を大量にかぶるように飲んだ。
すこし、落ち着いてきた。
暗い公園のベンチに座り、カバンのことを再び、思い出してみた。
ただのいたずらだったような気がしてきた。
見事にひっかかったというところだろう。
西口公園では、このカバンを仕掛けた人間がいたのかもしれない。
さぞ、私の行動をみて、楽しかっただろう。
そんなことを思いながら、煙草に火をつけ、大きく煙りを吸い込んだところで、
正面のベンチの横に、人が座っているのに気づいた。
暗闇に目が順応してきて、はじめて、気づいた。
この前にいる男は、私をずっと見ていたことになる。
煙草にむせながら、男を見た。
男は、私を見続けている。
この男は、もしかしたら、あのカバンに仕掛けた男をグルなのではないか。
そう思うと、すぐに、ベンチから腰をあげ、公園を出た。
道には、人がいなかった。
こうなると、人が少ないことに、恐怖を感じていた。
背後から、おそわれるのではないかと、背中の皮膚がぴりぴりと痛みをかんじるほど神経は過敏になっていた。
私の、歩く早さが、次第に早くなっていった。
指にさしていた煙草を投げ捨て、そして、遂には、走り出し始めた。
後ろを見ることをせずに、ただ、人が大勢いる繁華街へと走っていた。
人ごみに安心があると考えていた。
にぎやかなところへと、たどり着くと、居酒屋に、とびこむようにしてはいっていった。
何事もなかったように、カウンター席に座り、生ビールを注文して、一気に飲み干した。
何かが、ビールによって洗い流されたような、爽快な気分になってきた。
そのときになって気づいた。
私は、ビビリ過ぎていたと。
なんでもないことに私は、気をつかっていたと。
その日、私は、ひとりで、大いに飲んだ。
一人なのだが、自分の中にいる自分と大いに語り合っていた。
好きな手羽先を大量に食べながら。

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